戦争は終わったと言っても、すぐには終わらない

防災・備え

今日は9月5日。

日露戦争を終わらせるためのポーツマス条約が結ばれた日だそうだ。

戦争というのは、「今日で終わり!」と言ったからといって、すぐに全部終わるものではないらしい。

考えてみれば、今やっている戦争だってそうだ。

ニュースでは、

「停戦か?」

「終結に向かうか?」

なんて話が出てくる。

しかし、戦争はスイッチを切るみたいには終わらない。

終わると言われても終わらない。

終わったと思っても、まだ何かが残っている。

人が帰れない。

街が元に戻らない。

失ったものは、簡単には戻らない。

だから本当に「終わった」と感じるまでには、ずいぶん時間がかかるんだろうな。

そして、ふと思った。

これ、コロナも少し似ていたなと。

あの頃は大変だった。

どこへ行ってもマスク。

店に入るにもマスク。

電車でもマスク。

人の顔を見るより、マスクを見る時間の方が長かったんじゃないかと思うくらいだ(笑)。

「いつになったら終わるんだ?」

そんなことを何度も思った。

しかし今、電車に乗ってみる。

あれだけ毎日マスク、マスクと言っていたのに、もうマスクをしていない人もずいぶん増えた。

昭和、平成の頃なんて、普段からマスクをする社会ではなかった。

風邪を引いた人か、花粉症の人くらいだった気がする。

それが令和になって、コロナ騒ぎ。

日本では特に、マスクというものの社会的な役割が、ずいぶん変わった気がする。

今でも医療の現場や、場所によってはマスクが必要なところがある。

もちろん、必要な時には必要なんだろう。

だけど、あの頃と比べれば、世の中は確実に変わった。

それだけでも、私は素晴らしいことだと思う。

マスクなんて面倒くさくて、昭和や平成の頃には、普段からするものではなかった。

それが令和になって、必要な時にはする。

しない時にはしない。

そんな新しい位置づけが、社会の中で出来上がったような気もする。

戦争もそうなのかもしれない。

「終わります」

と言われても、すぐには終わらない。

しかし、長い時間が過ぎて、振り返った時に、

「ああ、あの時代は終わったんだな」

と思う日が来る。

コロナだってそうだった。

あれだけ大騒ぎしていたのに、気がつけば電車の中の景色は変わっていた。

忘れた頃には、もう終わっている。

もちろん、戦争とコロナを同じにしてはいけない。

戦争には、人の命や人生、街や国そのものを壊してしまう恐ろしさがある。

だからこそ、一日でも早く終わってほしいと思う。

そしていつか、

「そういえば、あんな戦争があったな」

と平和な日常の中で話せる日が来ればいい。

終わると言っても、すぐには終わらない。

でも、気がついたら終わっている。

終わらないものなんてない。

今日はそんなことを考えた、アラカンマンである

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